フェニックス・ジャーナルの部屋

宇宙と地球で、皆が仲良くバランスを取りながら暮らすための、基本ルールが書かれた本「フェニックスジャーナル」の日本語訳を掲載しています。

フェニッフェニックス・ジャーナル27巻23―あなたの個人的な責任の本質を理解する

18個のバランスの法則は前回までで完成しました。ここからは、この18個の法則をどうやって守っていったら良いのか、私たちができることは何か、といった具体的なことに移っていきます。(birdのつぶやき)


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フェニックス・ジャーナル27巻22―バランスの法則18のつづきです。
原文はこちらにあります。
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あなたの個人的な責任の本質を理解する


ここで、先述した(訳注:フェニックス・ジャーナル27巻の、この章より前の部分)バランスの法則に沿ってこれを維持していくために、あなた方人間一人ひとりが担っている責任についてお話します。創造主はあなた方に自由意志と論理的な知性を授けているのですから、バランスを取るということは、本当に、一人一人の人間の選択にかかっています。創造主が動物界や鳥界に与えた持続とバランスのための「本能」と同じではないのです。
 
では神は、あなた方を、この彼の創造物の上に立つ主人にしたのでしょうか? はい、しかし、今ある完璧なものを改善したり、支配したり、排除したり、破壊したりするためではありません。神はあなた方に、素晴らしく美しい生命の多様性を体験するための、物理的な王国を与えました。この場所は、神と創造が発した法則を学んで、賢く従って、完璧なスピリットになるために、あなた方に与えられた場所なのです。またここは、あなたの中に宿る神のスピリットを通して、すべての創造物と調和する方法を学ぶために、あなたが体験しようと選んだ場所でもあります(最愛の母なる地球も含めて)。残念ながら、あなた方の自由意志による論理的な精神で、あなた方は自分のことしか考えず、地球の残りの部分である鉱物界、植物界、動物界を完全に無視して、この素晴らしい創造物を「近代化」し「改善」して、自分たちのためにもっと住みやすい場所にしようと考えました。
 
ですから例えば、私たちは、あなた方の惑星「サイクル」でいつも世界の至る所にいた「古代人」や「インディアン」という、「その土地ごとの」多くの文化に敬意を表します。この人々は、霊的に「高度に」発達していて、自分たちはこの世界の一部ではあるけれど、この世界のものではない、ということを理解していました。彼らは、美しさや、食べ物や、住まいを与えてくれた母なる存在を、敬い祝福しました。彼らは、食べ物と衣服を与えてくれた動物を、敬い祝福しました。そして、人生の経験を与えてくれた、生命のスピリットである父なる神を、敬い祝福しました。彼らは、自分たちの内なる神のスピリット以外には何一つ所有していない、ということを知っていました。彼らは、支配側ではなく全体の一部として、敬意を持って、調和とバランスを保ちながら生きていました。これは、神と創造から与えられた自然の法則に賢く従おうと、彼らが選択したことだったのです。
 
そしてその後、傲慢にも自分たちは「文明化」されていて(他の)全ての人々より優れていると感じる人々が現れました。文明は、「1.高度に知的、社会的、文化的な発展を遂げた人間社会の状態」と定義されます。「スピリット的」な真の知恵や完全性の発達はどうなっているでしょうか? ええ、もちろん知識人たちは、自分たちが創った「文明化された」王国で同胞たちを必要に応じてコントロールし、権力を得て、支配するために、一連の「宗教的」(必ずしも「スピリット的」ではない)
教義を注意深く準備して持っておくことの重要性を認識していました。
 
「原住民」は軽蔑されて「原始的」だと言われ、「文明化」されるか、滅ぼされるか、どちらかを強いられました。反キリストの娼婦に屈することを拒否した者の多くは、あっさりと滅ぼされてしまいました。生き残った者たちは、スピリット的に貧しい「現代」文明の中で生きることを嘆きました。今、多くの「生存者」は、「古代」のスピリット的なバランスの教えを保持したり回復したりしていて、この「現代」文明の中でスピリット的に飢えて失われている同胞たちを取り戻すために活動しています。
 
ですから、あなた方一人一人の内にある生命のスピリットとの交わりをもって、あなた方はまずバランスの法則を賢明に理解し従わなければなりません。そして第二に、この素​​晴らしい球体の創造物の中で、あなた方の責任がどこで始まりどこで終わるかを賢明に知る必要があります。
 
たとえば、野生動物、爬虫類、鳥類の本能に対して、あなたに責任はあるのでしょうか? もちろんありません。自然の鉱物、草、低木、樹木の性質について、あなたに責任があるのでしょうか? もちろんありません。でも、食料、衣類、ペットとしてあなた方が家畜化した動物について、あなた方に責任があるのでしょうか? もちろんあります! こうした動物を家畜化することは間違っているのでしょうか? 必ずしもそうではありません。ただ、あなた方がそうした、という事実があるだけです。ですから、あなたが飼っている牛、羊、馬、鶏、鳥、猫、犬などの家畜の世話をして面倒を見ることについては、あなたに責任があるのです。
 
食用のために動物を殺すのは間違っているのでしょうか? いいえ、そうではありません。でも、なぜあなた方は生き物を殺して、それを「スポーツ」と呼び、自分がいかに素晴らしい殺し屋かと、仲間に自慢したりするのでしょうか? 私たちはこれを、利己的で悪意のある殺戮と呼ぶでしょう…。わかりますか? そこには違いがあるのです。今、牛、豚、羊などの家畜が、食料や衣服のために十分にあるとしたら、なぜ「野生」の生き物まで殺す必要があるのでしょうか? 現代では人間が、都市や、郊外の住宅地、農地、ゴルフ場のために彼らの王国を奪い、彼らには小さな「保護区」を提供して、彼らがその保護区を「越え」たり、「過剰に」増えたりすると、バランスを取って余分な動物を「殺して」しまうことがよくあります〔あなた方の「先住民」の同胞に対して行われたのと同じことです。あなた方は彼らの王国を文明化して、滅ぼし、彼らに「文明」から離れて暮らすための(あなた方にとって)望ましくない「保護区」を提供したのです〕。
 
神は、あなたが望み必要とするなら、食べ物や衣服として動物を与えてくださったということを、理解しなければなりません。神は、あなたが生き延び楽しむために、食べ物、薬、そして素晴らしい「味」のために素晴らしい野菜やハーブ、植物を与えてくださいました。あなたは、肉体的にもスピリット面でも支えてもらっていることについて、動物、植物、野菜、そして神に、毎日感謝して敬意を払い、お礼の気持ちを捧げていますか? この素晴らしい惑星、母なる地球が、美と生存という恵みを豊かに与えてくれていることに、毎日感謝して敬意を払い、お礼の気持ちを捧げているでしょうか?
 
ここで、人間が家庭で飼っている「ペット」の世話と責任について考えてみましょう。犬や猫などのペットを飼っている場合、その犬や猫は、愛情、世話、食べ物について、あなたを頼りにしています。犬でも猫でも、どんな動物でも、内なる創造から、その種のグループ・スピリットを受け継いでいます。動物は、その種特有の「本能」を持っています。多くの人々が信じたがっていることとは逆ですが、動物は自由意志を持っておらず、本能的な行動を超えた人間と同等の推論能力も持ち合わせていません。動物は創造されたすべての生き物と同様に、愛に非常に敏感です。彼らは人間にとって素晴らしい友人や仲間となり、明るさ、楽しさ、ユーモアをもたらしてくれます。
 
これらのペットの家畜化によって、この動物たちの自然のバランス機構が乱れて、過剰な繁殖が起きています。多くの無責任な「飼い主」がこれを許し、動物たちの子孫の世話をしようとしませんでした。多くの動物が放置されて死に、病気を蔓延させ、野生化し、最終的にはどこかの「動物愛護団体」に引き取られることになります。幸いなことに、こうした「動物愛護団体」の設立に尽力した人々は、爆発的に増加している不要な動物、特に犬や猫の保護の必要性を理解していました。これは、迷子、野良、あるいは必要とされなくなった動物たちのための孤児院です。実に悲しいことですが、動物たちは「養子」にしてくれる可能性のある人間にわずかな料金で提示されるのですが、ほとんどの動物は引き取られることなく、通常は安楽死させられてしまうのです。本当に心が痛みます。ただ、驚くべきことに、「動物愛護団体」で働くことを選ぶ人の多くは、動物への愛からそうしているのです。また、こうした「人道的な」動物譲渡施設のほとんどは、譲渡規定の一環としてすべての犬と猫に不妊手術を義務付けています。そうであれば、みなさん、論理的に考えて、過剰な繁殖を許し続けるよりもこうしたペットに不妊手術を施す方がはるかに人道的で責任ある行為だと思いませんか?
 
ですから親愛なる皆さん、今、論理的に考える必要があります。どうやって、この創造物の他の部分と調和してバランスを保ちながら、あなたの命を維持すれば良いのでしょうか?
 
まず、真実を知りたいという純粋な願望から始まります。真実を知るためには、意識的な「変性した」自我は真実を認識する能力に限界があることと、神はあなたが神に奉仕する際に進むべき最善の道筋を知っていることを認識しておかなければなりません。ですから、あなたは自分の意志を神の意志に委ねなければなりません。あなたの日々の祈りの中で、あなたの意志ではなく神の意志に最善を尽くせるように、神の愛の光、つまり、保護、導き、力、知恵、知識、真実、誠実さ、そして勇気を神に願い求めなければなりません。それから、親愛なる皆さん、父なる神が、神への奉仕に必要なものを与えてくださるということを、待ち望まなければなりません。分かりますか? あなたの意志と神の意志は、再び一つにならなければなりません。
 
今真実を知り、あなたの杯が父から与えられた知識と知恵で満ちていることに気づいたあなた方は、その杯を、受け入れる兄弟たちに渡す責任も負っています。あなた方は、奉仕を続けるためには杯を回さなければならないことに気づくでしょう。つまり、あなたは一杯になっている杯を独り占めすることはできないのです。なぜなら、それは満ちており、再び満ちるためには、杯を空にしなければならないからです。あなたの前に来るすべての人に、手当たり次第にそれを振りかけることはできません。杯は回され、各人の選択によって受け入れられなければなりません。受け取られない杯を渡そうとするのは、あなたの責任ではありません。あなた方が杯を渡すと、ある人は拒否し、ある人は受け入れるでしょうが、誰が受け入れ誰が受け入れないかは、あなたが心配することではありません。あなたの責任は、受け入れる者に杯を渡し、その結果を各人の中に宿る神に委ねることです。同様に、知識と知恵の杯を受け入れ、真実を飲む人々は、真実の喜びに満たされ、養われ、そして彼らもまた杯を回すでしょう。すべての人に杯を受け取る機会が与えられるでしょう。あなたからでなくても、他の人から。彼らに杯を差し出し、主を待ち望むのはあなたの役目です。あなたの杯は再び満たされ、あなたは再びそれを次の者に渡すでしょう。こうして、あなたはすべての人の内にいる父に仕えるのです。


******** 24 につづく*********


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