フェニックス・ジャーナル27巻12―バランスの法則8
「バランスの法則」の8番目は、結婚の神聖性、結婚という制度が出来た背景、離婚が認められる場合、など、結婚という繋がりについての基本的な考え方を教えてくれています。(birdのつぶやき)
フェニックス・ジャーナル27巻11―バランスの法則7のつづきです。
原文はこちらにあります。
*******************************
8. 不貞を働いてはなりません
辞書にある「不貞」の文字通りの定義は、「結婚している人が自らの意思で、配偶者以外の人と性行為を行うこと」です。この法則は現在でも適用されています。この法則の(作られた)理由は、モーゼが戒律を示した当時やそれより前には、彼らのほとんどは単純で、無知で、読み書きが出来ず、宗教的な指導者や帝国の統治者から誤りを教えられていたために神を恐れていたからです。
問題は、(あなた方の「過去」の歴史を通じて)多くの若い男性や兵士が、日常生活や村から村への旅において、多くの若くて自発的な女性に出会い、性行為によって好色にもその多産な種を広めたことです(時代はそれほど変わっていませんよね?)。結果は明らかで、多くの女性が妊娠しましたが、通常その頃には、その男性は戦争や隣の村へと去ってしまっています。そのため、彼女は一人残されて、子どもを産んで育てる責任も一人で背負うことになります。多くの女性は、こうして(発生した)予期せぬ責任に「対処」できず、通常、自分の夫だと思っていた人から遺棄されたことにも「対処」できませんでした。多くの女性は、そのような状況に置かれて恐怖や、恥、罪悪感に襲われ、堕胎しようとして自分も胎児も死に至らしめることになりました。世話をしてくれる家族や友人がいない場合、多くの女性が路上に置き去りにされました。そして多くの女性が、生まれた子どもを教会や孤児院の玄関先などに捨て去りました。またある者は、暗く荒れ果てた場所にその子どもを置き去りにして死なせてしまいました。ですから、「不貞を働いてはならない」というこの法則は必要なものなのです(法則の15番「責任を持ってバランスのとれた子孫を残すために、神の知恵に従わなければなりません」を参照のこと)。
そこで神は、彼の愛情のこもった慈悲と無限の知恵によって、結婚または婚姻の誓約を創り出しました。これは辞書で、「男性と女性による法的契約で、夫と妻として一緒に暮らすためのもの」と定義されています
(高次の領域において、これは非常に重大で喜ばしい誓約であり、神の和合と呼ばれています)。このように、神は夫と妻が互いに共同責任を持ち、彼らが生み出した子孫に対しても共同責任を持つ、という種を植えました。こうしたことから、結婚は神への最も重大で神聖な誓約の1つであると考えられているのです。
さて、マスター教師のイエス・エス・インマヌエルがこの主題について、「父の言葉」に関連して実際に教えたことを、『そして彼はインマヌエルという名で呼ばれた:私はサナンダ』というタイトルの本〔フェニックス・ジャーナル・シリーズの一部として現在印刷中(訳注:この27巻が発行されたのは1993年です)〕から引用しましょう。およそ2,000年前、マスター教師のイエス・エス・インマヌエルは、結婚の誓約と男女の権利について尋ねられたとき、次のように述べました。
「あなた方には善きこと全てが与えられており、生きていく際に沿うべき法則も授けられています。あなた方はこれらの法則と追加の法則を固く守るべきです。そうすれば、あなた方は地球(Earth)で繁栄し、家族にも平和がもたらされるでしょう。古い法則の力は取り除いてください。(その古い法則では)女性は男性の配下で従うべきものとされていましたが、彼女はスピリットにおいて男性と同等の人物であり、同等の権利と義務を持っているのですから。この法則は神と天の子らによって与えられたものですが、人間が自らにとって都合の良いように仕上げたために多くの歪曲があります。
「男性が女性と結婚する場合、彼は、その女性が生活必需品の不足に見舞われることがないように、彼女の所有物の管理について、最も信頼できる世話人に保障金を支払わなければなりません。その金額は、以下のように計算されるべきです。彼女の健康が損なわれていない場合において、彼女の生きるそれぞれの年ごとに、銀貨100枚を基準とすべきで、彼女の知識、能力、体力に応じて判断されます。どんな人も売り買いされるようなことはあり得ないのですから、その金額は「購入」価格として捉えられるものではなく、その女性が不足に悩まされることがないよう保障するためのものとして捉えられるべきです(「現代」における財政的保障の金額や種類は、適宜調整されます。インマヌエルの声明のさらなる説明は、フェニックス・ジャーナル・エクスプレス第1巻と、第2巻の34~40ページでお読みください)。
「男性と女性の間における婚姻の契約(bond of matrimony)については、両者が精神的に適格で、法則に沿って結婚生活を送る能力がある場合にのみ認められるべきです(注:それは神の法則です)。」
「もし、事前に決められた合意に沿って代金が支払われない場合、法則が適用されます。つまり、その男性は妻のあらゆる必需品を調達しなければなりません。」
「妻が子どもを産めないことや、男性が子どもを産ませられないことは、離婚の理由にはなりません。また、彼女や彼が他の意見や行動を取るべきでもありません。」
「離婚の唯一の理由は不貞、つまり、ある人の世帯メンバーの精神、肉体、生命が、破壊や危険にさらされる時です。もしある人が彼自身の不貞という行動によって離婚する場合、彼は、快楽を求める利己的な欲望の衝動に呼応して責任ある行動を全て放棄したのですから、生命とその法則に値しませんので、断種されるべきです。」
(引用終了)
さて、文字通りに翻訳すると、不貞が起きるには、不貞を働いた二人のうちのどちらか、または両方が結婚の誓いを立てていなければなりません。神の真理の王国では、神聖な和合の誓いは、男性と女性の二人の間で立てられ、一体となって共に生きるということであり、それは非常に重大なこととして受け止められます。なぜならそれは、生涯を通じてお互いに、内なる父に誓約するものであるからです。これは神との契約であり、人間が経験する法律上の契約ではないのです。これはつまり、「いわゆる」法的契約をせずに「恋人」として一緒に同居している男性と女性も、本人が気づいているかどうかにかかわらず、「いわゆる」法的契約を持つ人々と同じ誓約を神に立てなければならない、ということを意味しています。(ちなみに)神と結ばれた契約がどれも、その種の子どもをもうけるためのもの、という訳ではありません。なぜなら、神の和合を選んだ人の多くが、一なる父への(生殖の)奉仕を選ばなかったり、出来なかったり、その資格が無かったりする場合があるからです(生殖の責任についてお話した6番目の指令を再読してください)。しかし、どちらの「恋人」も、自分たちが生み出す子孫に(「法的に」結婚したカップルと)
同じ責任を負います。性的欲望やその他の利己的な理由だけで同居を選択した場合、彼らは神に対する彼らの責任を否認したことになり、彼らは悪の手により、自らの行動の結果に苦しむことになります(法則13番「あなたが蒔いた種は、あなたが刈り取ることになる。」という、「原因と結果の法則」とも呼ばれる法則を参照してください)。
離婚が「1.法的手続きまたは慣習による結婚の契約の解消。2.根本的あるいは完全な離別」と定義されていることは、神と創造の法則に反することを意味しているのでしょうか? 「はい」、そして「いいえ」です! それは、離婚するカップルが経験している実際の状況によります。例えば、あなたは人生で常に、神への奉仕を第一の誓約とするのですから、理想的には、あなたが結婚で選んだパートナーは、あなたの誓約と、彼/彼女の聖なる父に対する誓約の、両方を支援しなければなりません。
もし、例えばあなたのパートナーが、あなたやあなたの子どもを肉体的あるいは精神的に虐待し、従って、神に奉仕するという彼やあなたの誓約を支持せず尊重もしない場合、あなた方はもはや結婚の契約/絆に縛られていません。どうして神が、あなたとあなたの子どもを苦しみと罰の誓約に縛るというのでしょうか? それでは道理にかないません。しかし、もしあなたのパートナーが、彼/彼女にとってあなたが肉体的にも性的にも魅力的ではなくなった、ということを理由に離婚を決意した場合、これは離婚理由として受け入れられません。この例をさらに取り上げてみましょう。仮にあなたのパートナーがあなたに惹かれなくなり、どこか他の場所で性的な満足を見出そうと決めたとしましょう。彼/彼女は不貞を働いたのです(上記のイエス・インマヌエルの引用を再読してください)。そしてあなたがそうすることを選択したなら、これは離婚理由として受け入れられます。なぜなら、あなたのパートナーは彼/彼女とあなたの間の誓約を破っただけでなく、不貞という行為によって彼は、神に奉仕するという彼の誓約も破ったことになるのですから。つまり、彼は自分の欲望を満たす行為によって自らの神殿に反キリストを招き入れたということになるからです。もちろん、不貞を働いた配偶者と離婚するしないについてのあなたの選択は、最終的にはあなたの内なる父によって運命付けられるでしょう。
******** 13 につづく*********

このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。